エピソード26

 ティブロンで過ごす最後の週末。
この週末は、お猿はビジテーションでヘイワードの方に行ってしまう。


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コーヒーを啜りながらお猿の用意を整えていると、誰かがドアをノックする音が聞こえた。九時十五分前。フレッドのお迎えだったら、彼とは九時にロビーで会う事になっている。

『誰だろう?』

のぞき穴の向こうには、フレッドの妹のアイリーンが立っていた。
全く思わぬサプライズ!
ドアを開けるや否や、私の体は胸に抱いたお猿ごと大きなハグで包まれた。

「元気そうだね、よかった。色々あって大変だったね。」

変わらない人慣つっこい笑顔に、懐かしさが込み上げて来る。

「今、丁度コーヒーが入ったとこ。飲んでく?」

「うんまあ‥あんまりゆっくりもしてられないんだけどね。ベビー、ヘイワードに送ったら、またその足でサン・ホゼまで行かなきゃいけないから。
あ、今日はフレッドが急に仕事入ったって事で、急きょ私が代わりにピックアップに来たってわけ。‥うん、やっぱりコーヒー一杯だけ頂いていこうかな。」

相変わらず少し神経質な音を響かせながら、次々と言葉が彼女の口を飛び出して来る。

「ああ、そうそう忘れないうちに。これフレッドから預かって来たんだけど。何だろうね。まあ封がしてあるから後でゆっくり中見てみて。」

そう言って鞄からオレンジの封筒を取り出すと、ぽんっとテーブルの上に投げ置いた。

 

 フレッドの三兄弟の中では末っ子になるこのアイリーン。年が同じだという事もあって、ヘイワードの暮らしの中では唯一、言葉のバリアを感じる事もなく一緒に時間を過ごせた相手だった。
慣れない生活の中で四苦八苦する『義姉』を気遣って、時々ふらりと立ち寄っては、お互い特別に何をするわけでもなくベビーと遊んでコーヒーを飲んで‥。そんな気楽なつき合いが出来る彼女が好きだった。

今ではこうして穏やかな顔を見せている彼女も、若かりし頃はドラッグなどの問題で、家と刑務所を行ったり来りしていたという。そんな過去にあった凄まじい苦しみの軌跡を残すように、今でもその左腕には、大きく掻き割った傷跡が残っている。
仕事も未だ気分次第で転々と落ち着かないアウトローな彼女だったりするのだけど、そんな固い殻の内側には、とても脆い、繊細な優しさが隠れている。

以前、まだ十七、十八才の若い頃に、彼女も一度結婚していた事があったと話してくれた。しかし、その結婚生活というのがとてもひどい経験だったらしく、ブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, 女性の横顔, 窓, ブロンド, 哀しみ, 涙, 感情, 美しい女性, 絶望, 希望その後はずっと一人で通している。

『このアメリカってとこは、男はみんな下衆野郎ばかりだからね。もし、この先また誰かと結婚する事があったとしても、もう愛情なんて期待しないよ。ただ、キッドの種と生活の保証をしてくれて暴力振わないヤツだったら、もうそれで儲け物だと思わなくちゃ‥。愛だとか恋だとか甘ったるい事言ってるうちは、まだ実際の生活なんて見えてやしない。』

優しくベビーを腕に抱いて、窓の外に遠い何かを見つめながらぽつりぽつりと言葉をこぼす静かな横顔が、今でも胸に残っている。
落ち着いた瞳の中にある悲しさが、彼女が過去に潜り抜けた時間の欠片を映していた。

 

 アイリーンと二人、キッチンのテーブルに陣取って、長い空白の中にあったお互いのストーリーを語り出すと、いつの間にか時間は飛ぶように過ぎていた。
すっかり冷めてしまったコーヒーのカップにお代わりを注ごうと私が席を立ったのを合図に、彼女は思い出したようにバタバタと帰り支度に取り掛かった。

「また、今度改めてゆっくり会いに来るから。あ、これ私の携帯の番号。何かあったらこっちに電話して。」

ベビーのバックを肩に担ぎ、小さなノートの切れ端を私の手に渡しながら片腕で軽くハグをくれると、彼女はそれまで大人しくテーブルの足元で遊んでいたお猿の手を取った。

アイリーンに手を引かれドアを出て行きながら、お猿が少し不安な顔で私の方を振り返る。 『いってらっしゃい』と無言の笑顔で見送って、二人が出て行くドアを閉めた。

 

 一人になると急に部屋が淋しくなった。

キッチンに戻り、すっかり冷たくなったコーヒーを啜る。テーブルの上にはオレンジの事務封筒が残っていた。

『なんだろう?』

コーヒーをもう一口ぐいっと口に含むと、嫌な予感を押さえながら、早速そのフレッドから託されたという『お土産』の封を開けてみた。

中から出て来たのは、ブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, 封筒, コーヒー, テーブル, 書類, 手紙もう今では見慣れたコートの書類一式だった。
一瞬分けが分らずに、その物々しい紙の束に目を通してみる。ここまで来れば、これはもうりっぱな嫌がらせだ。

『いったいフレッドは、今度は何がしたいというのだろう?』

動転する頭で、そこにびっしりと英語で書き並べられた項目を読み進んで行くうち、 もはや呆れて空いた口が塞がらない気分になった。

『今や定住地を持たず、ホームレスのように滞在先を転々とする生活を送っている女性には、ベビーの母親としての資格は無い。ドラッグやアルコホリックの問題もまだ疑わしい事であるし、父親として、そんな人間にベビーを託しているのはとても心配だ。それに対して、自分にはちゃんとした仕事があり、ベビーにとっての責任感溢れる父親である。こうして状況を対比してみると、自分こそが子供の親権を持つ者に相応しい‥うんぬん、かんぬん‥。』

そんな事が今回もまた、ご丁寧に毎度ドラマティックな作り話も加えながら、何ページにも渡って書いてある。

責任感溢れる父親‥?
言っては悪いが、『へそが茶を沸かす』という言葉がこれほど相応しいジョークにはそうそうお目にかかる事もないだろう。

確かに収入の面『だけ』で言えば、フレッドはシリコンバレーのエンジニアとして、なかなかいい給料を稼いでいる。
しかし実際の生活では、稼ぐのを上回って子供のように考えなしにお金を使ってしまう彼の悪癖に苦しめられて、家計はいつも火の車だった。

葱の根っこまでかじるような生活の中、私が妊娠期間中に買えた物といったら、$20のマタニティー・ジーンズが一本だけ。無茶苦茶なクレジットのヒストリーのおかげで銀行からも閉め出しをくらい、結婚生活を送る銀行の口座でさえも、私の名前との共同口座でやっと開けたような状態だった。
コートで決められたベビーの養育費負担、チャイルドサポートにしても、最初の頃には全く払ってくれる気配がなく、結局はまたコートで、毎月給料から直接天引される処置を取られてしまったような男である。

いったい、これのどこから『責任感』などという立派な言葉が飛び出して来たりするのだろう?
全くフレッドの冗談のセンスにはいつも感心させられる。

今回の引っ越しについては、ビジテーションのピックアップの関係などもあって、前々からフレッドには全て状況を説明していた。急な家賃の値上がりからこのティブロン生活に至った過程まで、何か状況が変わる度に、その都度概要を伝えていた。
それがあの狸には、ベビーの親権をとる絶好のチャンスに映ったようだ。

カリフォルニアの法律では、親権を保持する条件の中に、『子供に安定して安全な生活を与える事が出来る定住地を持っていること』という項目がある。
結局フレッドは、私のこのホテルでの仮住まいの状況を利用して話を作り替える事によって、親権を取る恰好の口実が出来上がるとでも思ったのだろう。
そんなお目出度い短絡思考には、もうほとほとうんざりだ。

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これまでフレッドはこのティブロンにやって来ても、『なんて素敵な場所なんだ』なんて、上機嫌のお上りさんよろしくはしゃいだ様子を見せていた。ホテル暮しについても、特別何かを質問したり文句を言って来たりする事もなく、私も全てがうまく行っている物だと疑いの欠片も持つ事がなかった。

それが、今日のこの『爆弾』である。
それも自分はこそこそと陰に隠れて、この『果たし状』を、何も知らない妹に託すこずるさ‥。こちらのほうが情けない。

 

 フレッドのクリエイティブな才能に溢れる馬鹿げた書類を読み進む内、胸の中には、怒りとも悲しみともつかない強い感情が突き上げて来た。

今までコートが持上がる度に、沢山の人たちを巻き込みながら、ミーティングに時間を費やし、面倒な行程を一つ一つ乗り越えて来た。そうして今、やっと親権の行方も決まりビジテーションのスケジュールも整理されて、これからはもう、コートやフレッドに掻き回されることもなく新しい生活の基板づくりに集中出来ると安心した矢先、それがまた、こんな蛭のようにしつこくて気紛れな彼の策略で、理不尽にもコートまで引っ張り戻されてしまう。
また、一から弁護士とのミーティングに振り回され、ミディエーションでヘイワードまで引っ張り出され、そんなごたごたが繰り返されて行く。

『いったいいつまで、あんな男に私の生活が振り回され続けなきゃいけないのだろう‥?』

混み入った思いがごちゃごちゃに交差してぶつかり合い、突き上げて来る収集のつけようのない感情に、胃が掻きむしられる思いがした。

『今度のコートでは、もしかしたらベビーを取り上げられてしまうかもしれない。』

思わず両腕で自分の体を抱きしめる。
まるでそこにある何か無気味な力が、私から全てを根こそぎに剥ぎ取って行くような恐怖を感じた。

 

 それからどのくらい時間が流れただろう‥。
シーンと静まり返った部屋の中に、静かに携帯電話の呼び出しのメロディーが流れ始めた。

ギクリと心臓に電気が走り、身体中の毛穴が総毛立つ。

『フレッドだったらどうしよう‥!』

凍り付くような緊張を感じながら表示されたコールIDを確認すると、そこにはクリスの番号があった。点滅するアンサーボタンに触れながら、いくつか咳払いをして声を整える。そしてひとつ深呼吸をすると、ブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, セルラー, 電話, 携帯電話その後思い切ってボタンを押した。

「ハイ、ハニー。」

週末フレッドと会う時間の後、クリスはよく電話をくれる。
ベビーの受け渡しで否応無しにフレッドに会わなければいけない私の動揺を、彼なりに気にしてくれているようだ。

張り詰めた神経の隙間に柔らかい声が響いて来る。
返事をしようと軽く息を吸い込んだ途端、こみ上げた涙にむせ込んだ。
平静を頑張る程、しゃくりあげる嗚咽で言葉が出ない。

「今、どこにいるの?」

「‥‥‥‥。」

「ホテルだろう?今からそっちに行くからね。今日は夜勤で仕事のシフトが午後からなんだ。」

「‥‥うん‥。」

 

 十五分後、クリスが合い鍵を使って部屋の中に入って来た。

枕を抱えてうずくまった体が、大きな腕の中にすっぽりと包まれる。
嗅ぎなれたコロンの香りに、心がふわっと安心した。

「さあ、何が起きたのか説明して。」

私が少し落ち着いたのを確認すると、クリスは静かに聞いて来た。
たくましい肩に頬を預けたまま、手にした書類を彼に渡す。
受け取った書類の束を見て、クリスはいつになく真剣な表情でその全部のページに目を通すと、
「これはひどいね。」
大きなため息をつきながら、小さく唸るように呟いた。

しかしそう言った次の瞬間、彼の青い瞳はニッと笑い、不安げに顔を見つめる私の鼻を人指し指でピンと弾くと、『こんなものは紙屑と一緒だよ』と言わんばかりにブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, ホテルの部屋, お洒落な部屋, インテリア書類の束をベッドにポンと放り投げた。

「でもフレッドも馬鹿だよなあ。こんなことしたって自分の首を絞めるだけなのに。考えてもご覧よ。大体こんな事いったい誰が信じるの?君がアルコホリックだとかドラッグ中毒だとか‥。おまけにホームレスまでくっ付いて、もうここまで来ると立派なジョークさ!誰が見たって嘘だってことが分るだろう?」

そう言いながら、肩にまわした片方の手でクシャクシャと私の髪を掻き回すと、重たい空気を吹き飛ばすように軽いテンポで話を続けた。

「実際君は、今まで何ヶ月もシェルターでの生活を潜って来てるわけだし、それが判事に対しても、君がまともな人間だって事の立派な証明になってるさ。もし仮にそんな問題を抱えてる人間だったら、シェルターの前に、矯正のプログラムの方に送られてるよ。フレッドもこんなことばっかり繰り返してると、まったく『自分は嘘つきです』って大声で吹聴しているようなもんだよな。」

「ふふふ‥。」

テンポの軽い気楽な声に、心が解放されて行く。
ピリピリ神経を突いていた物たちがゆっくり外に溶け出して、つい今しがたまで涙でふやけ落ちそうだった顔に、また笑顔が浮かんで来た。

私の笑顔が戻ったのを見て、クリスはもう一度私の髪をクシャッと掴み、頭に軽くキスをすると、ベッドから立ち上がってキッチンへ行き、コーヒーメーカーの中に残っていた一人分のコーヒーを二つのカップに注ぎ分けて戻って来た。

「さあ、仕事を済ませよう。」

それから後は、ローヤーに電話を入れシェルターの方にも連絡をとった。感情の渦の中でこんがらがって滅茶苦茶に絡まった糸たちが、スルスルと解け出し、また時間が流れ始めた。

そうして全ての『応急処置』が済んだ後は、ただクリスとベッドの上に並んで座り、繭に包まれるように時間を過ごした。
不安を根こそぎ摘み取るように、クルクル動くブルーの瞳が冗談を並べて行く。 ブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, ピノキオ, ピノキオの鼻, カボチャのピノキオ, ハローイン, カボチャ

「フレッドの鼻があんなに大きいのは、きっとジェベット爺さんの呪いだよ。嘘つく度に、ニョキニョキニョキニョキのびちゃうんだ。コートが終わる頃にはもうすっかり鼻がつっかえて、コートルームから出れなくなったらいったいどうするつもりだろう?それを考えると心配で、夜もゆっくり寝てられやしない。」

幸せなクスクス笑いが、重たい気分を吹き飛ばす。
力強い腕にしっかり体を抱き支えられながら、また明日を生きる勇気が沸いて来る。

 

 「さて、嵐もおさまった様子だね。」

穏やかに微笑む私の頬にキスをしながら、クリスはゆっくりと身体を起こし静かにベッドの上からおりた。

「後でまた電話するよ。ちゃんとランチを食べて、今日はリラックスしてるといい。ベビーもいないし天気もいいし、僕が君と入れ代わりたいくらいだ。哀れな僕は、これから明日の朝まで仕事。ああ、いいなあ。船出したいなあ‥」

気だるそうにネクタイを正しながら鏡に向かってブツブツそう呟くと、鏡の中の悪戯な瞳がニヤリと笑った。その後は素早く私の耳にキスをして、クリスはバタバタ部屋のドアを開けた。ブログ, エッセイ, シングルマザー, 海外生活, 人気のブログ, 注目のブログ, 話題のエッセイ, カリフォルニア生活, アメリカ生活, ノンフィクション, 現代画家, 人気, アーティスト, サンフランシスコ, フェースブック話題の人, 話題の人, 海外の日本人アーティスト, ドア

後ろ姿を見送りながら、口の中で小さく『ありがとう』と呟く。

パタンとドアが閉められた後も、そこから外を歩いていくクリスを感じながら、しばらくドアを見つめていた。

 

 ダウンタウンに戻ると、早速また、フレッドとの第二ラウンドが始まってしまう。
でも私はもう一人じゃない。
今では色んな人たちが、私の時間を見ていてくれる。

友達がいる。シェルターのスタッフがいる。
今まで出会って来た沢山の人たちが私の存在を知っている。もう、ヘイワードでひとりぼっちで泣いていた、孤独でちっぽけな私じゃないんだ。

『ふふふ。』

胸にポッとくすぐったい火が灯った。

「ありがとう。」

ドアを見つめながら、今度は少し大きな声で呟いた。

 

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[2012/04/29 03:51] | エピソード | トラックバック:(0) | コメント:(0) | page top↑
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